学生時代の夢 今考えると・・・!その1
面談などで「君は将来何になりたいの?」と聞くことがある。
しかし、多くの生徒は「別に~」とか「なりたいものがない」等とのたまう。
「いや~夢がないなこいつ…」と思うのだが。
よく考えれば、中学生時代夢があるなんてすごいことだ!
ふと自分の過去を考えてみると、小学低学年までは「トラックの運転手」だった(笑)中高学年になると、鉄腕アトムに夢中になり「博士になりたい~!」と考えるも、全く勉強はせず遊んでばかりだった。
中学2年の一学期までは、「定期テストはいいななぁ!早く帰れてうれしい~」とあまり勉強しないほうだったので、「なりたいものねぇ~別に無い!」だったような記憶が…
思えば2年の夏休み珠算学校の傍ら高校の講師をしていた親父から「このままじゃ高校には入れんぞ」と言われ。
にわかに「やばい」と考えるようになったが、集中して勉強をした経験がほとんど無い私にとって、どうすれば勉強の習慣がつくのか分からない状態だった。
転機が訪れたのは、第2の人生は自由に教えたいので、空いている教室を貸してほしいと、中学の校長を勤め上げた親父の知人が尋ねて来た事だった。
親父は私のこともあって、この元校長の話に乗り気で「この愚息の面倒をお願いするので、使ってください」と言うことに…
この元校長、なかなかモチベーションを上げることがうまい先生で「次は○○県の入試問題だ。」「よく出来た、○○県制覇!」等と日本地図を広げ県名を探させたりして教えてくれた。おかげで段々力が付いてきて勉強のコツも分かってきた。あの先生がいなかったら高校には行けなかったかもしれない…
高校生でやっと少しは進路のことを考えるも…
晴れて高校生になると機械設計なんかが面白そう~と思っていたが、3年の夏文転!こりゃ学部を考えなきゃと言うことで、法学部志望としたが現役時撃沈!一浪目も撃沈!二浪を経験すると。弱気になって経済か商学部にしようと考えるようになった。
会計学科に転がり込むと、公認会計士になるには研究会に入るのが王道だと言われ。
さる研究会の説明会に行ってみると…「ゲー!朝6時から勉強会だと!」三年間受験勉強してきた私にとって『勉強』という言葉に恐れをなした。この頃は、いつも楽な方にたなびく性格だったので「ハイ!あきらめ~」まあ、4年間色々経験して人生を考えようと日和に日和った。
この時代のことは→ https://www.juku-lets.com/blogs/2018106037/ で!
大学3年生の秋になると、先輩たちが映画のチケットやレストランの食事券などを持ってクラブによく来ては「おい平林!これやるで、チョット付き合え。」「そうだ、ところで就職はどーする?」「俺の会社はいいぞ!」等と誘いに来ていた。とある政治家の秘書もやってきて「政治に興味は無いか?」などと言われたりもした。
結論はパン職人志望
4年の夏休みにインターシップで2ヶ月弱ある仕事を経験した。それで毎日決まった時間に満員電車に乗ることに。いつも乗る時間とちがって、朝の丸ノ内線の混雑ぶりは半端ではなかった。途中で長く歩いて乗り換える。帰りはこの逆!当時は週休1日・土曜は半ドン時代。※半ドン=午前中だけ勤務
「ギョエ!こんなんやっとれん!東京なんて長く住む所じゃねえ!」
と考え始めるようになった。
早々にそこの就職先は辞退することに、遅ればせながら本格的に進路を考えるようになった。情報はもっぱら大学図書館で商業界と言う雑誌や経済紙を読んだりして、将来何が有望かを考えた。
ちょうどマクドナルドが流行ってきた時代でもあり、神田精養軒のバケットを持って歩くのが一つのファッションになっていた時代だった。
そこで、パンの作り方を調べてビックリ!こぶしの3分の1位の生地がこぶし大に膨らむのだ、原料は小麦粉・酵母・砂糖・塩そして空気。やや!ほとんど空気「パン屋にしよう?故郷に帰れば駅近くの角地に土地がある。そこで将来パン屋を開こう。」
ところが、大学の求職票にはパン製造メーカーがあってもパン職人はない。研究職はあっても文系は門前払い。
そこで職業安定所(今はハローワーク)に行って探すことに…
ところが安定所からの紹介で面接に行くと「大卒は取らない。労働組合作られると困る!」「人手はほしいが、大卒取ったことがないし、学生運動みたいな事されると怖い。」等と断れ続けた。
しかし一件だけ「なぜパン屋になりたい?朝早いし大変な職業だよ。」と質問され、私が「パンには夢があります。なんと言っても空気を売る仕事じゃないですか。」に「君は面白い人だね、空気を売るか!気に入ったよ、ただしこちらにも条件がある。実は娘が中2なんだが、勉強の面倒を見てくれるなら寮付きで考えてもいいよ。」「それでは卒業まではアルバイトで来てくれるかな?」と言う訳で卒業後の進路はほぼ決まったように思われたが…
こんなのあり~
夏のインターシップ後の進路について実家にも報告書が行ったようで、両親は4月からてっきりその仕事に付くものだと考えていたようだった。その仕事の辞退を母親には説得できたが、親父とは話し合ったが最後までうんとは言わなかった。
これが、ある出来事になるとは考えてもみなかった。
3月下旬、パン屋の社長から4月からの事をご両親に報告してくるようにと言われ、一端帰省のつもりで家に帰ると親父がある保育園の園長になるので、そろばん学校を母親に任せるつもりだが心配だ…等の事を聞かされるも、私にとっては馬耳東風。
3日後東京に帰る準備をしていると、運送会社の車が止まり我が家に荷物が運ばれてきた。
「どこかで見たことがある机だな~」「ゲー!俺のじゃ~?」
<つづく>→https://www.juku-lets.com/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/2022039092/