学生時代の夢 今考えると…! その2 | 半田、阿久比の学習塾 レッツ

学生時代の夢 今考えると…! その2 | 半田、阿久比の学習塾 レッツ

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学生時代の夢 今考えると…! その2


[ 2022年3月7日 ] [ admin ] [ blog ]

その1→https://www.juku-lets.com/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/2022039030/

既に、親父と社長との間で話がまとまっていたのだった!
それで、社長が「今後のことについて、ご両親と話してきなさい…」と帰省を促した訳が理解できた。
「そ・そんなバカな話があるか…」

こうして、学生時代の夢は破れた。

親父は半田速算学校の校長を辞め保育園の園長に就任。
お袋が半田速算学校の校長→親父は不安!
俺は一体何を?→親父が園長になる保育園の課外の講師
保育園に児童館というのがあり、そこで課外で「そろばん」と「算数教室」を企画
私をそこの指導員に雇うという魂胆らしい。速算学校の手伝いと指導員の生活が始まった。
私は「ハイじゃあ、やります」と安請け合いをした訳ではありません。

親父の悪巧みに条件をつけた!
任期は2年半。2年半経ったら留学をするのを条件として請け負うことにした。
それで、午前中は当時上前津にあったYMCAに通って英語を勉強することに。
午前のクラスは高校を卒業した若い子ばかりで、少しやりにくかったが、
グレード試験も受かり、ただし最低ランク(笑)そして2年が経ち、
親父に「今年の9月カナダに行くからよろしくね。」と言うと
「今見ている生徒はどうするつもりだ。お母さんも困るだろう…ウン!それに、生徒にとても好かれているじゃないか。」
「給料ではなく、個人事業主として歩合でどうだ。悪いようにはしない。どうだ!」
と、たたみ込まれた。
「またしても、やられた~ !」元帝国陸軍仙台航空学校卒業の親父は諜報員策士家であった。

一生の職業として家業を継ぐには不安が!

ちょうど、電卓が普及しだし、Z80というマイクロチップを使ったワンボードマイコンやシングルボードコンピュータなどが出始めた時期と重なった。
日本の高度成長を支えたのは「そろばん」の力が一役買っていたように思うが、
これからは計算は電卓、複雑な計算はマイコンの時代が来るのではないか?
一生の職業を「そろばん」だけに頼っていたら生きてゆけなくなる。
そろばん」は計算の道具ではなく、教具という位置づけで考えなければダメになる!
まず教材から考え直す必要がある。
と言うことで、教材作りにかかることにした。
当時はパソコンやプリンター等という便利なものはなく、手書きのガリ版刷りで作った。
学生時代柄にもなく同人誌を作った経験があり、夜な夜な原紙を書いてはガリ版刷りをしていた経験が生きた。
昔はガリ版刷りで教材を作っていたそうで、ワンセット家にあったのを借用することに。
見ばえが悪い~」というか文字が下手すぎでしょう~

県の補助金で和文タイプとFAX輪転機

愛知県公認の珠算学校だったので、県の補助金が利用できた。
ダメ元で申請すると審査に通り念願の和文タイプとFAX輪転機を手に入れることができた。
数字のフォントも特注で作ってもらい、これでずいぶん見栄えの良い教材が出来た。
輪転機も快調そのもので、今まで3時間かけて印刷していたのが10数分で…
この調子ならチラシも作れると思ったが大きな文字は手書きになり、
悪筆と美的センスのない私にとって大きな壁となった。
でも、こりずにチラシを作ってはポスティングに精を出した。
今では不審者扱いになりそうだが、
自転車と洗濯物で家族構成を想像してポスティングした。
給料制だったらこんな時間外の勤務は絶対やらなかっただろうし、知恵も湧かなかったろう。

6年後とんでもないことに

ちょうど隣町で分校としていた借り教室が老朽化のため取り壊すことになったので、
土地を購入し新校舎を建てることになった。
ポスティングのおかげで教室は満員御礼が続き、4年間で土地を買う頭金が出来ていた。
人生初勝負!3000万円の借り入れ。
頭の中では、1校舎分+αで借入金返済。もう1校舎分で生活出来ると踏んでいた。
名称は「阿久比学習センター」とし講座数も「そろばん」「小学学習」「中学学習」「高校英数」『習字」と今のレッツの基礎となった。
学生時代の友人に報告すると「阿久比→あくび?」学習塾には似つかわしくないね。
と散々いじられたので、対外的には「あぐい学習センター」と標記した!

しかし、親父にまたしても!

1年後親父が定年を迎えた。定年後は好きな詩吟教室で悠々自適かと思いきや、
弟はまだまだ売れない演出家の卵。食べてゆけない時代だった。
そこで、親父は密かに送金していた
父が亡くなって遺品整理からその時のメモが一杯出てきた。
まだまだ、弟のためにお金が必要だったのだ!

しかし、「伸康。今までありがとう。たくさん生徒を集めてくれて。
児童館は俺が定年後引きつぐことになったので、
おまえは折角新しい校舎を建てたのでそこで頑張れ!」
なに~ぃ!そんな話ないでしょう。

今でこそ笑い話になるけれど、
妻:「今月の生活費は?」
僕:「その缶の中にあるよ…」
妻:「3万円とジャラジャラ・・・しかないよ」
僕:「せっちゃん(母)に援助してもらうか…」
と言う生活が続いた。
母は頼られるのが好きな性格だったので、ずいぶん助かった。
とにかく気前よく、人にあげるものは良いものを選んであげていたくらいだった。

果報は寝て待て! とは、よく言った

ある日曜日、寝ていると来客が。
その方のお子さんが通っているそろばん塾が廃業するので、近くで開いてほしい。
と言うことだった。
当時半田学園という通信制の高校と短大があった。
そこで母が講師をしていたので、理事長に許可を得る事が出来た。
しかし、やっと軌道に乗った二年目の夏。
三河地区のそろばん塾が大通りを挟んだ地区で、新しい物件を探していると言う情報を得た。
しかも、その地区から通っている生徒が大半だった
こちらも指をくわえて見ている訳にはいかなかったので、
新築で少し家賃が高いかな~と思った物件に引っ越すことに。

そろばん塾の多くはそろばん専科で
民家を改築したり、集会所などを借りて行っていたのが大半だった。
総合教室として、ビルのテナントや自前の校舎を建てて授業をしているのは少数だった。
後に、ある年配の先生から
「平林君があんなきれいなビルで始めたので、○○先生ビックリしてあきらめた。と言っていたよ!」
と言われた。
ちなみに親父は「平林先生とか攝峰先生」私は「平林君」と呼ばれ区別されていた。

ちょうど、この頃パソコンを手に入れ、独学していた時だった。
偶然、漢字ROMの横文字をタテに座標変換してRAMに移しプリンターのポートに流す手法を考えつき、
日本初!漢字のタテ印字と4倍角までの拡大文字を印字できるエンジンを開発できた。
それを駆使してチラシも見栄えの良いものが出来た。
もう少し頑張ればワープロソフトも出来たのに… う~ん頭が足らなかった!)
さあここでも。ポスティング!
これを機に「Let’s学習センター」と名称変更した。

ソフト開発の動機等は→ https://www.juku-lets.com/blogs/2018085858/

その他プログラミング関係はCategory→プログラミングとお進みください

極貧生活から脱却かと思われたが…

<つづく>https://www.juku-lets.com/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/2022039126/


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