《超仮説》ジュリアス・シーザー(カエサル)と太陽暦
皆既月食にちなんで再掲
2018年1月31日は皆既月食だそうですね。20時48分頃に欠け始め、21時51分頃には皆既食となるそうです。また、食の最大は20時30分頃で皆既食の終わりは23時8分頃だそうです。満月は0時に南中するはずなので、南の空高くでのショートなとなりますね是非とも観察したいですね。そうそう、2014年にあげて、今は非公開にされていた私の仮説のブログを皆既月食にちなんで再掲します。(^_-)
中学になると四大文明を習う。その中で、チグリス・ユーフラテスの文明はくさび形文字(ハムラビ法典「目には目で、歯には歯で」という言葉でも有名だね)・太陰暦・7曜日を発明したとか、エジプト文明は象形文字(ヒエログリフ)・太陽暦を発明。天文学・測量術にも優れていたと習う。話はそれるが、なぜエジプト文明は天文学と測量術が優れていたのか?多分ある星が空のある場所に来ると大雨が降り始める事が分かってきた。大雨はナイルの氾濫を誘い、ナイル川沿岸の土地を洗い流す。それで、エジプトの学者は天文学に興味を持つようになった。
「オーやばい!○○星が、あの位置に…雨が続くぞ。早く避難しなければ…」大雨が降りナイル川が氾濫する。濁流は暴れ地形が分からなくなる。やがて雨は上がり、水は引いてゆく。しかし、洪水で荒らされた土地の区分を前のように分けなければ隣人との争いが絶えなくなる。氾濫した後の土地は栄養タップリな肥沃な土地になっているのでなおさらだ。そこで出番が測量術というわけだ。
おおーいけない!脱線した。元々ロ-マ帝国はチグリスユーフラテスとの関係が深かったので太陰暦を使っていた。それを「ブルータスおまえもか!」で有名なジュリアスシーザーが変えてしまったと言うのだ。簡単に言うと、太陰暦とは月を基準に新月を1日-満月を15日として1ヶ月を30日で表し、太陽暦は地球が太陽を365日で回るのを1年とした暦。ではなぜシーザーが大胆にも太陰暦から太陽暦(ユリウス暦)に変えてしまったのか?
そこで、ジャン仮説を立ててみた。当時、シーザーはローマ帝国の将軍としてエジプトに侵攻していった。エジプトを平定したシーザーはエジプトの女王クレオパトラ7世に恋をしてしまった。ローマ元老院から再三シーザーに帰ってこいと声がかかったが。シーザーはクレオパトラの虜になってしまい応じなかった。しかし凱旋式を行うというので、しぶしぶローマに帰った。そこから…ネットもない携帯電話もない当時、気持ちを伝え合うのは手紙しかなかった。手紙のやりとりの中で困ったことが起こった。
日付が合わないのだ!ローマは太陰暦、エジプトは太陽暦だったのだから当然。そこで、世の常「男性は美女に弱い。メチャメチャ弱い」というわけで、周りの反対を押し切ってローマ帝国の暦を太陽暦(ユリウス暦)に変えてしまった。というのが私の超仮説!(ユリウス暦はあまりにもあわてて作ったので後々大修正されて現在に至っている)では、どうして太陽暦が世界に広まっていったのだろうか?太陰暦は月を基準にしているので、潮の満ち引き(大潮-新月・小潮-上弦・大潮-満月・小潮-下弦)を知る漁業には有利だったろう。また月の形(新月1日・満月15日)を見れば大体の日にちが分かるので、カレンダーがなくても過ごせそう。でも、太陰暦(1年360日)は年に5日ずつ違ってくる。1年5日?たいしたことないじゃん。
でも、6年で約1ヶ月以上の違いが出てくるんですよ!種まきの時期を逃したら1年間ひもじい生活を強いられるんですから。と言うことは、季節感が大切な農業には不向きだということが分かります。世の食糧事情は保存できる農産物の需要が高いので、季節感が正しい太陽暦が世界に広まっていったのではないだろうか。(太陰暦も閏月などを利用して改良されていったようです)日本も昔は太陰暦だったらしい、よく旧暦で○○って言ってるよな…旧盆とか旧正月と言うやつ。昔の人の季節感は暦との時差をどう考えていたのかなぁ?あまりお目にかかれなくなった太陰太陽暦と書いてある日めくりを見ると、大きく太陽暦が書いてありその下に旧○月×日と書いてある。日本は器用にも双方を状況に応じて切り替えて使用してそうだ。現在イスラム教徒(ムスリム)は未だに太陰暦(イスラム暦)を使っているようだ。なんで知ったかというと、イスラム圏でカシオの時計がバカ売れしているという経済ニュースを見たからだ。
時計のカレンダー機能を太陰暦で表し、メッカの方角が分かるようにしてあるというような記事だった。ムスリムは1日に5回メッカ―に向かって礼拝をするそうだ。我が家に遊びに来るムスリムも夜寝る前には必ず手足を清めお祈りをしている。なぜムスリムが太陰暦なのだろう?と、フツフツと疑問が。そこでまたまた脱線で仮説を!さすがに現在は太陽暦とイスラム暦を併用しているそうですが。そもそもイスラム教が生まれた地域を考えるに、農業のできる地形や気候とはほど遠かったのではないだろうか。砂漠や岩山に囲まれた雨の降らない痩せた土地。しかも季節感はというと、1年を通して日中は暑く夜は寒い日がほとんど。カレンダーなんてとんでもない、紙も印刷物も貴重品だったはず、生活するには月を見て何日かが分かる方が便利だった。ではないでしょうか。
蛇足:1月 January 2月 February 3月 March 4月 April 5月 May 6月 June 7月 July 8月 August 9月 September 10月 October 11月 November 12月 December
Julyはジュリアス・シーザー。Augustはアウグストゥス(初代ローマ帝王) ローマ暦は3月から始まるので、5月と6月に当たる月をジュリアス・シーザーとアウグストゥスが変更し現在に至っているので現在の関係になっている。Sept.は7番目 Oct.は8番目・・の意味なので でも、Januaryは11番目という意味ではなさそう?JulyやAugustの前はなんて呼んでいたんだろう?