なぜソフト開発から足を洗ったか?
1995年NECパソコンフェアーでMicrosoftブースでのお祭り騒ぎを見てDOSのOSとしての終焉を感じた私は、しばらくしてソフトの開発を断念しました。
Windows 95以前はというと、NECのPC9800シリーズ用のソフトはその機種でしか使えない機種依存型でした。WindowsになるとPC/AT互換機(※太っ腹のIBMが仕様をオープン)なら機種を選ばずWindows上で使えることになるのです。
※企業が開発した技術や仕様を一般に公開することをオープンアーキテクチャーと言います。
そうすると何が起こるか?
そんな折、取引先の銀行からWindowsの世界になるとソフトの需要も増えるので、この際ソフト会社を作りましょうという話が舞い込みました。
また、あるソフトハウスから共同でソフトを開発しましょうという話も飛び込みました。
世の中のソフトハウスはWindowsでフィーバーでした。
それはそれは似たようなソフトがどんどん出て来ました。
でも、私は決断しました。「ソフトの価格破壊がおきます!ソフトやめます!」
「マーケットが広がるのにチャンスじゃないか!」とも言われました。でも!
当時PC9800シリーズはパソコン市場の7割を占めていたともいわれていました。
残りのたった3割を4~5社のメーカーで分け合っていたわけです。
しかも、AT互換機なら海外メーカーも参入してくる。
いままでソフトハウスの多くがPC9800でしか使えないソフトを作っていたので、98ユーザーは、多少価格が高くても「しょうがねえな!使うか。」となっていました。
しかし、Windowsになってマーケットは広がっても、逆にそんな高いソフト要らない。同じようなモノなら○○のが安いしと、予想通り価格競争が始まりました。
実際98,000円が64,000円になり32,000円までになったソフトもありました。
特に、ワープロソフトはパソコンメーカーがWord+Excelを同梱したことで、日本製ワープロソフトは壊滅的になりました。
そして、多くのソフト会社が倒産したり吸収合併をくり返したりと、ソフト業界で台風が吹きまくりました。
もしあの時ソフト会社を立ち上げていたら、今のレッツはなくなっていたかもしれません。
Excelに出会ってビックリ!
Multiplanという簡易言語と呼ばれていたソフトがありました。
その進化がExcelというスプレッドシートになったのですが、Excelを使ってビックリ。
これはすごい。このショックもあってソフト開発をあきらめたのも要因の一つです。
Excelには便利なツール(VBA)があり、なにも業務用ソフトを1から作らなくても、VBAでそこそこ、こなしてくれるではありませんか。
まあ趣味と割り切って、業務に必要なマクロやアプリを作って楽しもうと考え、ボチボチスローペースで作り始め今でも続けています。
何と、私の最初の製品は1987年だったので、もう31年もソフトに携わっています。
エッ!私の年齢?秘密です(笑)!
下のスクリーンショットはExcelのVBAで作った整序英作文を作るコードです。
と、又脱線路線を行ってしまった塾長Blogでした。
そうそう、いくつかのソフトハウスから共同開発の話で面白いのがありました。
もう時効なので、次回はそれにしよう。