子どもの幸せだけを祈っても子どもは幸せになれないかも知れない
相手のためなら頑張れる不思議
子どもに幸せになってほしいと思うのは子を持つ親なら誰しも思う自然な気持ちであると思います。どんなに辛いこともこどものためだから頑張れます。自分ではない誰かのためであれば、自分の普段の力の何倍も力を出すことができますよね。私も15年間ほどずっと朝5時に起きてお弁当を作っていました。仕事との両立のため、睡眠時間は平均三時間ほどでしたが、こどものためなら作れるものです。自分のためだったら、こんなに続かなかったでしょう。
人はなんのために生まれてくるのか。そしてなんのために生きるのか。その問いにたいする私の答えはとてもシンプルです。「明日、今日より不幸になってくれないかな」と思い生きている人はまずいないと思います。人は幸せになるために生まれてきて、そして幸せになるために生きていくのだと思います。「全ては幸せになるため」だと私は考えます。
幸せは人それぞれ
幸せとはひとそれぞれです。ある人はお腹一杯ご飯をたべることを幸せといい、ある人は熱いお風呂に入ることが幸せだといいます。昔、青山教会に英会話を習いにいっていたのですが、その時ドイツ人の牧師さんから「どんなときが幸せですか」と聞かれました。私は「幸せと思うことが幸せである」といい、牧師さんは「なるほど、禅問答のようですね」とおっしゃいました。幸せとは「その人が幸せと思ったら幸せである」というのは一つのこたえであると思います。
しかしこんな場合はみなさんどう感じるでしょうか。パチンコをしていると幸せと感じるお母さんがいるとしましょう。乳幼児を車においたままパチンコに熱中して、その小さな命が危険に晒されたとしたら…毎日のようにそんなニュースが流れますが、これで胸を痛めるのは私だけではないはずです。そのおかあさんの幸せと私の感じる幸せとの間にはかなりの違いがありそうです。みなさんはどうでしょうか。
相手を幸せにできる幸せこそ本当の幸せ
結婚式を思い出してください。結婚式の新婦の笑顔を思い浮かべてみてください。自然と笑顔になってしまいませんか。本当の幸せとは、自分から溢れだして、相手も幸せにしてしまう幸せではないでしょうか。自分が満たされ、そして溢れだし、周りも幸せにしてしまう…それが真の幸せだと思います。まずはやはり自分が満足する、自己満足が必要です。
しかし、そこで終わってしまったら本当の幸せ、喜びを味わうことは出来ないと私は感じています。その気持ちを他の人にも味わってほしいと感じたり、だれかの役に立ったりしたとき、真の幸せを人は感じられると私は信じています。人に与えることで人は幸せになれるのです。学習塾は確かに勉強を教えるところではありますが、それはやはりこども達の幸せにつながらないといけないと思います。勉強とは幸せになるためのひとつの方法に過ぎないと思うのです。
幸せになるために人は勉強します。
だから勉強がみんなよりはやく終わって騒いでいるような子には真剣に叱ります。他の子がそれをみたらどう思うでしょう。「お金はらってんだから何してもいい」という子にも叱ります。(信じられないかもしれませんが、本当に口にする子がいるのです。)勉強だけできて、嫌味な奴になってしまったらそれこそ救いようがありません。嫌われるために勉強しているわけではないはずです。勉強が出来たらなにやってもいい、お金払っているからなにしてもいい…こどもは全てを単純化したがるので気持ちはわかります。
しかし、人は人ぞ、嫌味な人には人はあつまりません。可愛げがある素直な人に人は集まっていきます。人は幸せになるために勉強をします。知識と人格の向上のために勉強をします。もし、勉強が人格の向上を邪魔するのであれば、それはとてもかなしいことです。勉強は嫌われるためでもなく、人格を貶めるためでもなく、幸せになるため、自分のあこがれの自分になるためにするものです。
その培った知識、人格で、一人でも多くの人にとっての大事な人になり、世のため、人のため、与え続けることができたなら…その子の人生はとても豊かなものになるのではないでしょうか。相手のためにするということが、まわりまわって自分のためになっていくのです。子どもの幸せを願うのはもちろん、周りを幸せにできる子になる…これをお読みいただいたお母様、もし私の考えに賛同していただけたなら、このように我が子の成長を祈っていただけませんでしょうか。
「将来、世のため、人のためになれる人になれますように!自分だけでなく、周りも幸せにできる人になれますように。」
追伸:今年度の半田高校の論文顕彰のテーマは「いかに生きるか」だそうです。受験のみならず、心の教育まで踏み込む気概はまさしく地域トップ校の誇りを感じます。やはり学校も単に偏差値のみならず、公私にかかわらずそのような豊かな教育方針をもった学校に通いたいものですね。