人は死ぬために生まれてくる-教育の原点は人間性の涵養-
こんにちは、あけみです。わたしは前職では看護師をしていました。詳しい医療機関名は伏せますが、各界のV.I.P.が入院される特別病棟で多くの方の最期を見とってきました。ある企業の社長さん二人の最期がとても印象的であったのを思い出します。ある方はとても朗らかで、自然と周りに人が集まってくるような方でした。病室はいつも人で溢れ、笑顔で満ち足りていました。またある方は、いつも険しいお顔をしており、時として病室から怒号が飛んできました。
お二人とも、花で病室が埋まり、お見舞いの品は机いっぱいに広げられていました。しかし、次第にお二人の病室に変化が生まれはじめました。朗らかな方の部屋にはいつも人が溢れ、花が咲き誇っていましたが、険しいお顔の社長さんの病室からは人がいなくなり、そして花だけが送られてくることになります。
険しいお顔の社長さんにはどんどんと花が送られてきましたが、それを世話する人はいませんでした。家族もこない。毎日しおれていく胡蝶蘭が枯れ尾花のように映り、とても不吉に見えたことを思い出します。枯れているわけでもないので捨てるわけにもいかず、その結果うら悲しい病室となっていきました。花ぐらいは送っておこう、花を送っておけばいいや、という人間関係が多かったのかもしれません…しかし、今となってはそれもわかりません。朗らかな社長さんが奇跡的な回復を見せるというわけもなく、また同様に険しいお顔の社長さんも奇跡的な回復を見せることなく、程なくして亡くなってしまいました。しかし、二人の最期は対照的なものでした。
朗らかな社長さんは、家族に看取られてお亡くなりになりました。お見舞いの方がたまたま急変に気がついたため、ナースコールをし、家族の到着に間に合ったのです。しかし、険しいお顔の社長さんは一人で冷たくなっていました。だれも最期に気がつくことができなかった。2,000円のパジャマに身を包んだ体はとても小さく見えました。「ごめんなさい…」しおれた胡蝶蘭の中でわたしはやりどころのない想いを胸に抱いていました。
朗らかな社長さんは常に感謝を口にしていらっしゃいました。家族も、社員さんも、そして医師、看護師などの医療スタッフも自然と滞在時間が長くなります。一緒にいたい、楽しい、心地いい。しかし、お顔が険しい社長さんは感謝の代わりに不平が飛んできました。私達もプロですから、医療業務自体は遅滞なく行いますが、そこで世間話をしたり、談笑する、ということはありませんでした。必要最低限の時間で違う病室へと向かっていった気がします。結局お見舞いも一回だけ。家族の来訪は無し。「この方の会社は上場している大きな会社。大きな社葬をしてくれるんだろうけど、おそらくは義理で来るんだろうな…この人がいなくなったあとの世界の中での関係性を考えて。」20歳のわたしはそんなことを考えていました。
人は人ぞ…「人間とはどこまでいっても人間である。」いかに医療従事者といえど、医師と看護師という立場での面と一人の人間としての両面を持っているものです。腹ただしいこともありますし、感動をいただくこともあります。看護師という立場でそれは出しませんが、私達はひとりの人間なので心のなかでは思うことはあるのです。これは、立場がある大人の方ならご理解いただけることかとは思います。親の立場、教師の立場、上司の立場…そして一人の人間としての生(なま)の想い。立場がある人間もやはり一人の人間に過ぎないのです。今は教育者の立場なので尚のこと、それを感じます。
その険しいお顔の社長さんは自分の最期に気が付き、気持ちが荒んでいたのかもしれません。その方に「受け取る側に配慮せよ」、「そんな態度をとるな」というのは酷なことだと思います。「お前らもプロなんだから分け隔てなく接しろよ」という声も聞こえてきそうです。しかし、事実、「人は人ぞ」なのです。この言葉の前ではこの「お前らもプロなんだから分け隔てなく接しろよ」という言葉は正論にしか過ぎない頭でっかちの言葉です。それを言ったところで何も変わらないし、わたしは議論するつもりはまったくありません。
どう亡くなるのかというのは人生のひとつのフィナーレだと思います。一人の人生がそこに詰まっている。勉強だけできればいいのではない。仕事さえできればいいのではない。何かひとつができれば許される、ということではない。一人の人間がこの世から去るとき、その人の人間性がその散り際に映るとその時、直感しました。わたしは教育を通して、人間性を育んでいきたい。誰かにとっての大切な人になってほしい、それがその人の幸せだと信じているから…。この想いの原点にはこの原体験があるのです。
死は平等に訪れるものです。人の死に様はその生き様です。人は死ぬために生まれてくる。あなたはどうやって死んでいきたいですか。その中にこそ、「あなたはどう生きたいですか?」の答えがあるのではないでしょうか。