それでも努力は報われると信じる
単なる逆転ではなかったのだ。
合格の報を聞いて、思わず感涙にむせびいた。「ああ、よかった!本当に良かった!」報告してくれたお母さんも電話口で泣いて喜んでくださった。
SちゃんはK中学が第一志望だった。しかし、K中学には力及ばず、また三番手の滑り止めも落ちてしまっていた。
受験業界にいる人であれば、みんな知っている事実、それは「やり込み期(直前期)に一番成績が伸びる」ということだ。彼女も本来であれば、ここで一気に追い込みをかけて栄光を勝ち取るはずだった。しかし彼女にはそうできない理由があった。
…彼女は利き手を骨折していた。それは雪の日だった。数年に一度の大雪が彼女の足をとり、利き手である右手を破壊した。緊急的な手術。それはこれから一ヶ月以上…右手が全く使えないことを意味していた。周りの大人達は半分あきらめていた。「ベストを尽くしてくれればいい」
でも彼女は違った。
左手で勉強を始めたのだ。不慣れな左手で。中学入試は受験においてもっとも過酷な入試だ。高校受験のような内申点もなく、大学受験のような浪人もない。そのくせ、入試のレベルは高校入試の知識量に匹敵すると言われる。
想像してほしい。
小学校六年生が高校入試に挑む姿を。遊びたいざかりの子どもが自分の目標のために、自分を律し、毎日必死に生きている。そこには家族の献身的な姿が必ずある。家族と子どもと塾の総力戦、それが中学受験だ。
彼女は努力は報われると信じ、時に思い通りにならない左手にもどかしさを感じながら、それでも一生懸命努力を続けた。私達は気がつく。諦めているのは誰か。一体誰が諦めているというのか?私達の経験が、常識が、私達自身に諦めろ、しょうがないと語りかけているだけではないのか。
彼女は諦めていなかった。彼女の真剣な目。泣きそうになりながらそれでも、絶対に合格するのだという意志。その痛いまでの純真さが私達の大人の想いを動かしていく。私達も変わらぬ態度で接しようと決める。
そして合格。左手で入試に挑み、左手で合格を勝ち取った。彼女には確かに人並み外れた速読力と暗算力があった。レッツ子としての基礎の蓄積があった。でもそれだけだろうか。非科学的だが、そこにはなにかの「意志の力」のようなものを感じざるを得ない。周りの大人を動かすエネルギー、そして純真さ…その力が合格に結びついたのだと思う。当初の第一志望だったS中学。すべり止めを落ちての逆転だった。2つ落ちても…彼女は最後まで諦めなかった。
これから先、彼女の人生にはいくつかの困難が振りかかるだろう。そして今度は大きな挫折を味わってしまうかもしれない。努力がいつも報われるわけじゃない、と知ってしまうかもしれない。
だけど彼女はきっと思い出す。この逆境のことを。努力がいつも報われるわけではないけれど、努力で報われることだってあったじゃないか、と。そして苦い砂を噛みながら「今度こそは」と、再び立ち上がり、自分の足で歩いて行くのだろう。この受験の主人公は「先生」でもなく「親」でもなく、他でもない「彼女自身」だからだ。
その時、彼女はもう一人じゃない。彼女のその生き様に周りの腰が自然と浮く。
その小さな背中がやがて大きくなったとき、彼女は多くの人から愛され、そして多くの人に深い愛情で応えていく人になるのだろう。
Sちゃん、本当におつかれさまでした。