合格を勝ち取るための秘訣は「日常生活」の積み重ね
受験でもっとも大事なことはなんだろうか。
一番大事なことはテクニックではない
私は大学入試を専門でみているので、高校生を対象に授業をする。高校生ともなると、生徒たちは自発的に勉強法などを質問しに来る。その中でも、合格するための参考書や講座の組み合わせについて質問をうけることが多い。しかしその質問は結構危うくて、受験というものの本質が分かっていないんじゃないかと思うことがあったりする。もちろん使う参考書も大事だし、使い方も大事だ。しかし、それ以上に大事なことがある。それは「合格する」という目的のための行動を徹底的に積み重ねているか、という点である。
ここでいう行動とは、単語の憶え方とか、公式を云々の話ではない。そんな小さな話は授業でやっていればいいし、聞いてくれればいろいろなテクニックは伝えるので安心してほしい。そんなことではなく、日常生活において、合格するための行動を積み重ねているかどうか、という点だ。例えば、眠くならないように菓子パンは食べない、とかお風呂からでたら寝るまでスマホを見ない、とか快眠のためにエレベーターではなく、階段を使う、といったことである。こんな小さな話でも、意識しているしていないの蓄積は大きい。ダイエットを始めると、今までの食生活や運動習慣が小さな意識の積み重ねだと気がつくことが多いが、それに似ている。それをどれだけ徹底しているかが大事なのだ。
目的達成だけのために行動する
ある経営者の方と食事をした時、その経営者の方は、白いシャツと黒いパンツだった。また違う日も、同じ格好であった。「その服装に秘密があるではないか」そう思った私は、率直に訊いた。するとこんな答えが返ってきた。「そこに力を使いたくないからだよ。成功している人の格好見たらそういう格好の人が多かった、というのもあるけど。成功するためには格好に気を遣う時間はない。起きてる時間はすべて経営のことを考えている。この服装だと、身体がだらしなくなるとすぐわかるし、きちっとして見える。経営者だから、どうしても「見られる立場」なんだけど、この格好さえしておけば、かっこよくはないかも知れないけど、変ではない。だから、どう見られるかと気を遣わなくてもいいんだよね。」そこまで徹底するのか、と舌を巻いた。と、同時にそこまでされたら普通の人はかなわないよな、とも思った。
僕らの生徒も毎年ある一定数、E判定をひっくり返して合格していく生徒たちがいる。E判定をひっくり返してしまうような伸びを見せる生徒にはある共通的な特徴がある。(高校入試と違い、A判定でも落ちる人はいる。試験は他の受験生、テスト問題との相性もあるので、絶対受かるなんてことは保証できない。僕らにできるのは、合格といわれるラインまで成績を持っていき、合格の可能性をあげるということだ。そのため、合格、不合格、ではなく、成績が奇跡的に伸びたかどうかで語りたい。)
決起することの大切さ
E判定をひっくり返す生徒たちの共通する特徴は、自分流の日常生活のすべてを「合格するため」の行動に上書きしているということだ。これを私たちは「決起」と呼んでいる。目的達成のために、日常の行動を全て書き換えていく。目的達成に続かない行動はやらない。例えば、食事後に眠くなると思えば、血糖値の上がり幅が少ない蕎麦を買ってきて食べる。また、お風呂の中、トイレの中でも単語を憶える。時間がもったいないから問題を写さずコピー、また、夜不安で寝られないのであれば、敢えて疲労を感じるように、送り迎えでなく歩いて帰る、などだ。また、極端な例では、塾の近くに部屋を借りてしまった生徒もいる。また、学校をやめてしまうという猛者もいた。(必死で止めたがきかなかった)大きな声でいえない、学校の先生が聞いたら卒倒するようなこともやってしまう子もたくさんいる。(私達が指示したと思われ、学校から嫌われるのだが)とにかく現状に満足せず、常に改善をはかっていく。すると1時間かかったことが50分でできるようになる。あまった10分をまた改善に使う。すると今度は40分でできるようになる。このように時間を投資していく。余った時間を浪費、消費、するのではなく、投資に回していけば、どんどん学習は加速するのだ。(具体的な方法は本稿が預かるところではない)
結局自分らしさをどれだけ捨てられるか、なのだ。うまくやっている人はもういる。目的についてはこだわってもよいが、手段については自分のこだわりはいらない。あなたは職人でもなければ、芸術家でもない。いったん素直に王道を歩む。守破離はその後の話だ。
結局自分の人生は自分しか責任は取れない。塾も学校も責任は取ってくれない。不合格になったら、その塾や学校のコネで入学させてくれるだろうか。難しい。百歩譲って金銭的に補償してくれても時間は戻ってこない。だから自分で決めてやるしかない。そしてそれに責任を持つしかない。他人は究極的にはあなたの人生に責任は持てないし、そんな力も持っていない。日時計を巻き戻すことはできない。時間とはそういうものだ。
今日サッカーをはじめてワールドカップにでられるわけがない
勉強なんて受験生活のほんの一部なのだ。勉強ができるようにするためには、勉強以外の日常生活が大切なのだ。良い睡眠をとるために、健康でいるために、ストレス発散のために、時間を作るために…しっかりと今している行動が合格につながっているかを自分で説明できたほうがよい。中にはそんなに頑張りたくない、という人もいると思う。あなたがD判定やE判定なら通常の確率でいえば合格はしない。それが、いまよい判定が出てる人に勝負を挑むのだ。今、A判定が出ている人は、その模試までに合格に向かう行動を積み上げてきた人で、今まで君より必死で、そしてこれからも必死でやっていくだろう。昨日今日サッカーを始めた人が、明日のワールドカップにでられるわけがない。つま先から指の先まで、「合格する」という目的が浸透している人はもう行動が違う。差は勉強だけで産まれたわけではないのだ。日時生活の積み重ねと、なによりも合格への執念や意識が、その成績を作っているのだ。一瞬一瞬の決断の蓄積が、その差を作っている。だから、追い越すことは至難の業で、私達ができるのは、今から日常生活の動き1つひとつを「合格のため」にという行動に置き換えていくことしかない。A判定の人にはなれなくても、志望校に挑戦できるであろうC判定ぐらいには持っていけるかもしれない。地区大会で勝てるぐらいにはなるかもしれない。今の自分は一番若いのだから今がチャンスだ。
誰のためなのか
それでも自分は自分のペースがよいでという人には、僕はもう語る言葉を持っていない。ただそんなあなたには一縷の望みをかけてこの言葉を送りたい。北海道のサロマ湖100キロウルトラマラソンでは受付にこんなことが書いてある。
「自分のために走り出し、誰かのためにゴールする」
もうあなたは1人ではないし、あなたがそれをしようと動き始め、そしていつしか、あなたの夢に誰かが乗ってきてしまっているのだ。
それが誰なのか、あなたが一番よくわかっているはずだ。あなたの塾の費用を稼ぐためにお母さんはアピタで、マックで、ローソンで、色々なところで月に50時間以上働いている。お金の話しが嫌なら時間の話をしよう。ご飯を作ってくれたり、送り迎えをしてくれたり、いろいろ君のために時間を使ってくれている。体調が悪い日だって、気分が悪い日だってある、それでも、だ。もちろん、お父さんも会社で誰かの役に立とうと頑張っている。誰かのお役に立たないと、お金というのはいただけない。今君たちが働いても、時給850円ぐらいだろう。大人はその何倍も稼ぐことができる。あなたの何倍も世間様の役に立てる。現時点では生徒諸君は労働力という点で見れば、残念ながら、n分の1に過ぎないのだ。私は塾のお金をバイトで払っていたが、きつくて3ヶ月でバイトをやめてしまった。(そして高校にバレた。)
誰かがいないと、あなたはここにはいない。当たり前ではない。他人がそこまでしてくれるか。普通に考えたら「有り」難いことだとわかるだろう。あなたは、「自分のことではないのに、あなたのために頑張ってくれている」大人によって生かされている。
あなたは誰のためにゴールするのか。